岐阜県から明治39年に渡道した松久市治は、美生の地に入植し開拓を開始しました。
大正6年には豆類澱粉が爆騰し、現在地に母屋を建築し、その後に湧水を利用した”にじます”料理は町内外からの人々で賑わうようになりました。
十勝農業の歴史の中で母屋の建築物は貴重な歴史的遺産でもあります。